Ronnie James Dioの元バンドメイト、ギタリストの
Ritchie Blackmoreのステートメント。「
Ronnieはユニークで素晴らしい声の持ち主でした。ロックンロールの世界で彼はとても惜しまれることでしょう」 ソースは
ココ。
Geezer Butlerから
Ronnie James Dioへのメッセージ。
「
Ronnieと私、
Wendyと私の妻
Gloriaとの関係は、言葉なんかでは言い表すことが出来ないものでした。彼は友達、ミュージシャン仲間、バンドメイト以上の存在でした。私に魂があるとすれば、彼はその一部です。14年もの間会っていなかったのに、2006年に私たちを再び引き合わせたものが、神なのか宿命なのか運命なのか、なんと呼ぶのかわかりませんが、それを本当に信じています。最後のツアーをやろうというつもりだったのが、3つの大きなツアーと1枚のアルバムを制作するに至りました。私たちは共にはじけて、これまでになくエンジョイしました。運命がまた動き出したころ、私たちはもう1枚アルバムを作る話もしていました。
2009年の春から夏、南米とヨーロッパのツアーを行った後、2~3回に分けて北米をツアーする計画を立てていました。最初の北米ツアーで、
Tonyは手の靱帯が思わしくなく、
Vinnyは肩の脱臼、
Ronnieは激しい胃痛がありました。私たちはツアーを切り上げて、健康になってから、この先の年月も頑張っていこうと決断しました。
Tonyと
Vinnyは慢性的な症状が良くなりましたが、
Ronnieは悪化していました。 ハロウィンパーティーで彼に会ったとき、酒を飲んでいませんでした。彼は酒が好きだったので、普通ではありませんでした。彼は、痛みがいったい何なのか、専門家に見てもらうんだと話してくれました・・・」
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6月の9日から12日に行われる
Sweden Rock Festivalは、
Ronnie James Dioの名前をステージの1つにつけるらしい。
「
Ronnie James Dioは、
Sweden Rock Festivalに5回出演しました。3回は
DIOで、2回は
HEAVEN & HELLで。最後の出演は去年の夏でした。
Ronnieはいつもスウェーデンとスウェーデンのロックを見つめていました。私たちは長年、彼と彼のマネージャーであり妻である
Wendyと、とても良い関係を築いてきました。月曜日、前日彼が亡くなったというニュースが悪い夢ではなく、最も素晴らしい人が私たちの元を去ったんだとわかると、朝の目覚めはとても心が重苦しいものでした」「彼の思い出を称え、私たちは
Zeppelinステージの名前を変えることを決意しました。今年は
DIOステージと呼ぶことになるでしょう。メインステージの1つで追悼セレモニーも行う計画を立てています」
去年の
Sweden Rock Festivalは35,200人の観客が集まった。2010年は観客は最大で33,000人に制限される。ソースは
ココ。
Tony Iommiのリリースした
Ronnie James Dioについてのステートメント。
「昨日、5月16日、私の親愛なる友、
Ronnie James DioがLA時間の朝7時45分に亡くなりました」「大変ショックで、彼が亡くなったことが信じられません」「
Ronnieは、あなたがこれまで出会った中でも最も素晴らしい人の1人でした。私たちは素晴らしい時を共に過ごすことが出来ました」「
Ronnieは、音楽を作ったり、ステージでパフォーマンスすることを愛していました。彼のファンのことを愛していました。彼は親切で、いつも人を助けていました」「私は長年彼の隣で演奏できたことを心から光栄に思っています」「彼の音楽は永遠に生き続けるでしょう」「私は、最期まで
Ronnieと共にいた
Wendy Dioを思っています。彼は彼女を本当に愛していました」「魔法のような声をもったこの男は、スターの中のスター、真のプロフェッショナルです」「友よ、本当に寂しくなるよ」 ソースは
ココ。
MACHINE HEADの
Robb Flynnから
Ronnie James Dioへの追悼メッセージ。「
Dioは本当の紳士だった。
MACHINE HEADは2007年の5月に
HEAVEN & HELLの前座を務める機会に恵まれました。それまで
Ronnie James Dioに会ったり、一緒にツアーしたことがなかったので、大変光栄なことでした」
「アリゾナ州フェニックスでのツアー初日の晩、私たちはお祝いをしました、えー、結構heavyに。
Dioの楽屋はセキュリティー軍で要塞化していたけれど、私はなんとか入り込んで挨拶しました。彼は私が誰だか分からなかったけれど、まるで私が旧友かのように接してくれました。それからは、彼がいつも私たちの楽屋に『Hi』と言いに顔を出してくれたり、give
Dave shit about 'his San Antonio Spurs choking'、100ドルもするワインをくれたりしました」
「彼は力強いシンガーでした。素晴らしいトーンとgritでした。彼のステージでの声は、FUCKING LOUD!! Shockingly loud!!」「私たちは毎晩のようにステージ脇で彼を見られて本当にラッキーでした。私たちは彼の声のあまりの大きさにブッ飛びました」
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